親爺さんのグロリヤ その2
そしてこのエンジンは初代スカイライン・グロリヤから使っているエンジンで既に十分こなれていたのだろう、だが、残念ながら堅牢なエンジンとはいえなかった、トヨタや日産より洗練されていた分、オイル漏れや雑音に悩まされたオーナーも多かったのではないだろうか。
初代スカイライン
親爺さんのこのデラックスも、いつでもエンジン廻りはべたべただった、オイルシールなどいくら交換しても同じことだったし、イン・アウトのマニホールドのガスケットも漏れることが多かった。
ある時、私は行けなかったが、富士スピードウェイまで走ったことがあった。まだ東名高速はなく、名神高速も栗東までの時代、富士まで片道12時間あまり掛かったそうだ。
これほどの長距離を走るのだからもちろん事前の整備は完璧に行ったしオイル交換をして流行のSTPという添加剤も注入した。
しかし帰ってきたグロリヤを見て驚いた、エンジンががらがらがらがらと大きな悲鳴を上げている。まさかレースに出たわけでもあるまいし、と思っていたら親爺さん「タペット調整しといてくれ」。
今でいうバルブクリアランス調整だ、おっと今はそんなことをするようなクルマはもうない。
まだ工作精度が低かった時代、バルブを開閉する装置の一部に少しだけ隙間を作って膨張代としていたのだ、この隙間が、新しいオイルに添加剤までおごったにもかかわらず、ほんの1000㎞弱の連続走行で、大きな音がするほどに摩耗してしまったのだ。
こうして文章に書くとたいそうだが、ヘッドカバーを外してちょいちょいと調整すればものの10分ほどで元の静かさを取り戻したものだ。
もちろん漏れとともに大きく消費したエンジンオイルを補給したことはいうまでもない。
話を最初に戻すが、鈴鹿サーキットへ行ったグロリヤは親爺さんの娘も含めて6人乗車だった。当時このクラスのクルマを中型車と呼んで、ベンチシートの6人乗りが標準だった。前に3人座っても十分な広さがあったのは、ドアが薄くてドアガラスが平板だったことが大きいと思うが、運転席自体がドア寄りに作られていたせいもあるだろう、ヒルマンのようにチェンジレバーを右手で操作するものもあった
。
それでも3人の真ん中に座る人は大きなフロアトンネルをまたぐように足を広げる必要があった、グロリヤなど国産車は運転席の方へ足を伸ばすとクラッチを踏むのにちょっと邪魔になったが、米車などはクルマ自体大きなせいもあるがオートマチックなので問題はなかったのか、アメリカの映画やドラマで後席を空けたまま(ミニスカートの)彼女を真ん中に乗せているシーンをよく見かけた。
つづく
親爺さんのグロリヤ その1



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